言葉にする

  「いいえ、ちがいます」とか、「これは、私のものではありません」とかの言葉はありません。誤って声を かけてしまったのに、お詫びもしない店員さんにもビックリですが、幼児のように無言で首をふる若者にも

してもらったことをする

  先生は、 お絵描きがきらいな ワシテに、「絵を描きましょう」とはいいませんでした。「なにか、しるしをつけてみて」といいました。そして、紙に自分の名をサインさせることで、

コーヒー×おしゃべり=FIKA 

    「FIKA」が気に入りました。休憩したりおしゃべりしたりするために集うことを意味するスウェーデン語/動詞だそうです。  

手がはなれる 

   幼子と手をつないで歩ける期間は短いものでした。手がかかる育児期間でもあり、子どもには「早くして」ばかり言っていたような気がします。 

  大学生の課題を親が代行して 

豊かな「無い」

  大学でのキャリアデザインの授業では、毎回テーマを設けてミニプレゼンテーションをしてもらっています。先日のテーマは「最近うれしかったこと、楽しかったこと、ラッキーだったこと」でした。
  教室の中を回っていると、学生から声がかります。「先生、楽しいことなんてないですよ」「急に言われたって!」 

好き×好き

  やみくもに自己啓発セミナーに参加したり、ハウツー本を買いあさったり、誰かに誘われるがまま説明会 に ついて行ったり、 うつむきかげんで さまよう人に出会います。 「 自分探しの旅」に出ているそうです。でも、自分が見つかりません。

派遣さんのなまえ

 「先月辞めた派遣さんがね・・・」「どこに座ってた派遣さん?」「○×チームの人。△△から通ってた派遣さん。通勤に一時間半もかかって大変だったみたい」

この派遣さんに、名前はなかったのでしょうか 

いつからでも始められる

 「小さなかごに花を入れ、寂しい人にあげたなら、部屋に香り満ちあふれ、暗い胸も晴れるでしょう」。讃美歌『ちいさなかごに』の始まりです。 

ひみつのともだち

  「You raise me up」という歌が紹介されていました。「落ち込んで心がすっかりふさぎこんでいるとき、心が重荷でつぶされそうなとき、 

いいですねぇ

  昔ながらの写真館です。お店の中には、かつてのフィルム式の写真機が置いてありました。黒いカバーのようなものが下がっています。昔、カメラマンはこのカバーを頭からかぶり、カメラを覗いてシャッターを切っていました。暗室で現像液にフィルムを浸して現像をしていたことを知るのは、昭和の世代だけかもしれません。

いい日

  明日は誕生日というこの日、古くからのキャリアコンサルタント仲間との勉強会で、オンライン・ワークショップを開く機会を得ました。仕事、家事、育児に忙しい大人たちも「自分自身のことを考える。自分のための時間にする」内容です。

「あ」から始まる

  今日は雨です。「あ」から始まる言葉が浮かびました。「ありがとう」「朝」「明日」「明るい」「会う」「遊ぶ」「秋」「淡い」「味わい」「赤ちゃん」……。雨で憂うつな気分の朝でしたが、言葉を出しているうちに、気持ちが晴れてきました。 

色で感じる

  実は好きだったんだ。好きだったから、ひどいお父さんを見たくなかったんだということに、後から気がつきました。好きな『おいなりさん』に塗った黄金色を、なぜか『父』にも塗って 

ピンク色の涙

 「涙が変わってくるんですよ」と教えてくれました。「会場に集まったみなさんは、悲しくて涙を流しています。それが、しばらくするとうれしい涙に変わっているんです。表情が笑顔になっているんですよ」  

ありがとうの時間

  30歳位の男性管理職の方が、「私は、『ほめる』というよりも、『ありがとう』なんです」と教えてくれました。「部下と言っても、自分よりも年配の方が多いし、その方たちは仕事経験も私よりも長いです。職場に来て、きちんと仕事をしてくれてありがたいです。私が教えてもらうことも多いです。だから『ありがとうございます』と言います」と 

人は環境で育つ

  子ども本人に目をむけていないのは残念です。「早い完成=先生から非難されない」と考える「大人『は』問題」だし、「子どもがダメ。言いきかせなきゃ」と考える「大人『が』問題」のようです。先生にしても母親にしても、 

帰るところ

  「私もホストマザーみたいなケーキを作りたい」から始まった「~したい」は、外国人が多く住む街で、ケーキ職人であるご主人と製菓店の経営につながっています。今は二人の子どもを育てながら、店舗を増やしています。「~したい」は、「地域の外国人のサポートをしたい」に広がり、 

シールがつかない自分になる

  子どもを誰かと比べて「うちの子はできている/できていない」と思い、「〇〇ちゃんは、~ができるんだって」と何気なく子どもに向けて言葉を発していないでしょうか。聞いた子どもは「〇〇ちゃんはできるけど、私はできない」と、親からダメ印シールを貼られた気になって